Journal

  • 2022.03.25

    2021 Project Report

    See Visions 石倉葵

    色は「選ぶ」から「採る」へ

    Foraged Colors(以下、FC)は、自然からの採集物や食物から顔料とメディウムを作り、新たなインクとして現行の印刷機へ実装するプロジェクトである。“forage([fˈɔːrɪdʒ]/フォーリッジ)”とは、英語で「〜を探し回る」という意味の動詞である。FCではYUIKOUBOU(仙台市堤町)の築50年の民家の庭で採れる草木、吉勝制作所(山形県大江町)の裏山で採れる枝葉や木の実を文字通り「採集する」ことに始まる。ここから染織りの手法を応用して染料から顔料を作り、顔料をメディウムと呼ばれる溶剤に溶かしてインクを作る。顔料の抽出は、採集した植物から染料を抽出する染織領域の技術を基礎とする。令和2年度には手描きで布や紙に固着できるメディウムの開発と、抽出した染料の顔料化に成功。令和3年度は油性メディウムの開発、活版印刷での実装実験を実施した。

    FCの課題意識とその背景には主に2つある。1つ目は環境負荷の問題、2つ目は人間の営為として連綿と続いてきた自然から色を取り出す技術の喪失に対する危機感である。

    1.インクの環境負荷
    従来型のインクや有機溶剤には、インクそのものが石油で作られていること、また使用する工程でも有機溶剤による環境や人体への影響懸念や、水質汚染などの環境負荷が課題となっている。
    こうした課題意識から、印刷産業界でも有機溶剤をインキ中から極力減らすべく日々努力が重ねられている。近年では樹木や種子、米ぬか等の植物由来成分や生物由来成分などの再生可能な有機性資源を一部使用したバイオマスインキが開発されたり、水が主体成分となる「水性グラビアインキ」への切り替えなどが一部で行われたりしている。印刷インキに関する代表的な環境マークには植物油インキマーク(印刷インキ工業連合会)、エコマーク(日本環境協会)があるが、オフセットインキではすでに大部分のインキがこの2つのマーク基準に準拠しているため、2015年から「インキグリーンマーク」(印刷インキ工業連合会)が導入され、今後さらなる環境配慮製品の開発が促される方向である。
    また、一般的に環境負荷が低いと考えられる天然染料による布染めにも、固着剤として強い薬品を使用するのが通例で、媒染液(金属系)の廃液も存在するため、環境負荷と工人の健康負荷が高いという課題がある。
    これらから工業的なテキスタイルや印刷、塗装などの「色」を扱う産業には通底する課題があり、今後環境意識の高まりとともにさらなる持続可能な染料・インクに注目度が高まっていくと予想される。

    *参照:
    印刷インキ工業連合会 ウェブサイト ( https://www.ink-jpima.org/ink_kankyou.html )

    *VOCとは:
    揮発性有機化合物(Volatile Organic Compounds)の略称。大気中で気体となる有機化合物の総称で、インクなどに含まれる溶剤やガソリンから揮発してくるトルエンやキシレン、金属や機器の洗浄に使われるトリクレン(トリクロロエチレン)、塩化メチレン(ジクロロメタン)などがその代表例とされる。目やのどの痛みなどの原因となったり、農作物にさまざまな悪影響を及ぼしたりする原因物質の一つとされる。

    2.技術の喪失に対する危機感
    人間活動による地表改変が地質的に影響を及ぼすことを地質年代の用語で「人新世」(The Anthropoceneアントロポセン)と呼ぶ。オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンの言葉である。
    環境の変化と技術革新は同時に、文化の分断も多く生み出してきた。考古学領域の研究では、キノコの採集は日本付近では紀元前5000年には始まったとされる。「食べられるもの/食べられないもの」を見分ける知識や、毒抜きや保存、その土地土地に根ざした郷土料理など、食べることと採集が地続きになっている民俗的な身体感覚は何千年もの歴史の中で培われてきた人間の文化そのもののであるといえる。
    近代では進歩とよばれていたものが、人の健康だけでなく文化や民俗を細切れにしていく事例は、食の領域だけではなく、その他の領域でも多く存在する。そして一度途絶えてしまった技術を再興することは往々にして難しいことを私たちはすでに知っている。
    FCで目指すのは懐古主義的な技術保存ではなく、人類が連綿と続けてきた技術の現代社会への実装である。「採集物でインクをつくる」ことにより、山から都市、採集から印刷、民俗文化から産業までを結び直すことを目指す。

    染織×デザイン×印刷
    ー 技法の横断と実装実験

    2022年1月20日、YUIKOUBOUにて染料から抽出した顔料と、自作したメディウムを練り合わせたインクを4種類試作した。染料を顔料化する技術は令和2年度にYUIKOUBOUで成果が出たものを引き続き採用する。顔料の原料はYUIKOUBOUの庭に生えているシャリンバイの枝葉である。そこから顔料化には4週間近くかかる。「通常、染織りの技術では顔料化しないように工夫するのが普通です*」と吉田信子。顔料化により季節の色を保存できること(染織りではその季節にしかその色は出せないとされる)、インクのほかにも絵具やクレヨンなど、多様な展開・表現が可能になりえることなど、染織りにはなかった発想や展開に期待を寄せる。
    こうして抽出した顔料にはそれ自体に定着力はなく、何かに着彩するためには、接着をするための糊材が必要となる。その糊材が「メディウム」である。印刷機で主に使われるのは油系のメディウムである。今回はイギリスの印刷業者John Baskerville(ジョン・バスカヴィル 1706 – 1775)のレシピを参照し、食用アマニ油を加工して粘度をあげた煮アマニ油でメディウムを自作した。
    ガラスの板上に顔料とメディウムを少量載せ、ガラスの練り棒で練っていく。この「インク練り」の工程では、油絵具の手練りの手法を参照している。ここでの目下の課題は顔料を粒度をそろえてできるだけ細粒化すること。目指すのは10μm。通常ではまだ50μmほど。ここから10μm小さくするのも現在の自動乳鉢と手作業だけでは難しく、今後改良の余地がある。

    *染織においてもまれに染液が顔料化することがある。顔料化すると、布が染まらなくなるため、通常、染色の現場では顔料化は何らかの不具合とされ、忌避される。

    できあがったインクは加工に使用した4パターンである。

    道具+技法+顔料+メディウム
    ① 乳鉢+加熱+ピラカンサス+煮アマニ油
    ② 乳鉢+加熱+シャリンバイ+煮アマニ油
    ③ 乳鉢+フィルミックス*+月見草+煮アマニ油
    ④ 乳鉢+フィルミックス+20㎛のふるいにかける作業+月見草+煮アマニ油
    (③と④は宮城県産業技術総合センターの指導協力のもと生成)

    試作したインクを持ち込んだのは今野印刷株式会社(仙台市)。活版印刷機を使ったForaged Colorsの実装実験が行われた。プリンティングディレクターは遠藤新一さん。創業116年の今野印刷で、今では唯一活版印刷機を扱える人物である。遠藤さんが入社した48年前は活版印刷しかなかったというから印刷技術もやはり変化のスピードは早い。
    実験の結果、④では月見草の顔料の色であるグレーが他に比べてもはっきりと出た。遠藤さんも「①〜③に比べて明らかに粒子の細かさが違う」と実装化に向けて期待が高まるコメント。①〜③も色は顔料の粒が大きいものほど色は薄かったものの、どのインクも紙に印刷をすることができた。このことから顔料が細かければ細かいほどより濃い色が印刷できるということがわかり、今後の技術面に活かすべき課題が明確になった。

    *フィルミックス
    薄膜旋回型高速ミキサー。強力な遠心力によって形成される高速旋回薄膜に試料を閉じ込めるので、高い攪拌エネルギーを均等に処理物に転移することができ、従来の乳化機・分散機ではできなかった粒子径コントロールが可能になった。

    デザイン領域の拡張
    ー「何色で」から「何で」刷るかへ

    現在、印刷の現場で「色」というと、CMYK4色の掛け合わせのパーセンテージや、カラーチップからイメージにあった色を「選ぶ」ことが主軸となっている。これは音楽に例えるなら音律という「音の基準」が固定化されているということに似ている。どこの印刷所で印刷をしてもパーセンテージやカラーチップの番号などの数字が同じであれば、同じ色を出せるという技術的前提に立ち、デザイナーはカラーセオリーに即して色を「選ぶ」。
    その土地で採集できるものを使ってその地域ならではの色を作るノウハウが確立されれば、デザインの領域は「何色で刷るか」から「何で(どの植物で、どの土で、どの廃材で等)刷るか」という選択肢をもちえることになる。デザイナーの仕事は色を選ぶことから、風景とつながる素材を土地のなかから「forage」、つまり探して歩き回る「FC型デザイン」へと遷移するかもしれない。
    「デザインの工程で、そうなるともはや色を選ぶ必要があるのか、ということになると思います。たとえば、それまではデザインのセオリーに則って赤を選んでいたけれども、その土地から色を取り出すことができれば、そのとき出てくる色は究極的に何色であってもいい。なぜなら色とともにその土地がもつ記憶や風景のほうが立ち上がってくることになるからです」と吉田勝信は語る。

    クラフトインクが結び直すもの
    ー 実装実験とビジョン

    Foraged Colorsは「クラフトインク」と言い換えることも可能かもしれない。近年クラフトビールやクラフトジン、クラフトコーラなど、少〜中量生産の新しいものづくりは食の場面を中心に活発化している。その担い手たちは、過去と現在、技術革新と伝統の間で分断されていたものづくりの技術を取り戻し、その技術をとおして身の回りの自然を読み直すことで新たな製品を世に送り出すことを生業にしている。そしてその担い手たちが注目されるのには、製品の良さやコンセプトの新しさもさることながら、彼らが掘り起こした技術をとおして世界をどう読み直したのかを人々が知りたがっているからにほかならない。FCは分野こそ食ではないが、色の分野においてそのラインに並ぶ新たな試みとなり得る。そこで「クラフト〜」の言い方に倣えば、「クラフトインクをビオでドメスティックにDIYするレシピを作り、それをシェアする」のがFCの取り組みであるとも言える。
    一方で、あくまで「クラフトインクの製造・販売」ではなく「クラフトインクのレシピの販売」とするのは、食分野の先駆者とは異なる視点である。それは、その土地土地で採集した植物から、その土地の色を自走型で作れる技術が根づくことで、染料となる植物の採集や天然顔料のインクづくりがその地域の雇用になり得るからだ。土地ごとに少〜中量生産の持続可能な雇用を生み出すことは、「民俗文化と産業を結び直す」というFCの目的と合致する。
    FCで生まれる色たちは、例えば「仙台色のインク」の意味で「Sendai Colors」など新たな色の開発に結びつき、その土地の印刷業界における特殊技術が生まれる可能性の萌芽にもなりえる。現地で色を作ることで輸送コストの軽減にもつながるだろう。この技術が普及すれば、産業的には印刷業界の産業体系の環境負荷を下げ、持続可能性が高まるだけでなく、人間の営為として連綿と続いてきた自然から色を取り出す工芸的な技術を産業として保存し、後世に受け継ぐことも可能になるかもしれない。
    今後の課題として、顔料を細粒化する技術、中量産体制といったインクの製造工程のほかに、Foraged Inkを使うことでこそ得られる技術的特長を打ち出すことが挙げられる。今後は印刷にとどまらず、Foraged Inkを建築、テキスタイル、ファインアート、工芸などさまざまな領域での活用を視野に入れた実装実験を行いながら、領域横断的にForaged Colorsを活用することでそれぞれの知見を共有しながら、「FC型デザイン」の可能性を広げていく必要がある。

  • 2022.03.10

    色を待つ-植物に寄り添う控えめなモノづくり

    大阪大学・人間科学研究科 Ethnography Lab 代表 森田敦郎
    一般社団法人パースペクティブ共同代表 工藝文化コーディネーター 高室幸子

    気候変動を始めとする環境の危機が深まる中で、デザイナーやモノづくりの担い手たちは、これまで当然のように使ってきた素材の多くが分解不能な廃棄物を生み出すことを強く意識せざるをえないようになっている。こうした中、従来は石油原料や化学物質から作られてきた材料を、廃棄物や天然素材から作ろうとするマテリアル・デザインが世界的に注目を集めている。Foraged Colorsもまた、従来は化学物質や鉱物から作られてきた印刷顔料やメディウムを植物から作り出すことを目指している。だが、身近な植物から色を作り出すこの試みは、「色」についての我々の理解も大きく変えようとしている。

    デザイナーの多くにとって「色を作る」とは、Adobe Illustratorなどのソフトウェアでの操作のように、光の三原色を調合することを意味するのではないだろうか?そこでは、色は選択されるものであり、選択されるのは抽象的な光の配合である。一方、Foraged Colorsの吉田勝信のいう「色を作る」という言葉、とくに「作る」という動詞部分には、それとは比較にならないリアリティが詰まっている。

    Foraged Colorsは、顔料とメディウムを一から作ることで、色を選択し、色のついたプロダクトを生み出すという一見当たり前の活動の背後にある複雑なプロセスと営みに意識を向ける。印刷工程の主役である印刷機、顔料とメディウムを混合して作り出される粘度の高いインク、それらを押し付けるローラー、これら一連の機械を操作する熟練した手つき。色を素材(マテリアル)として捉え直すということは、我々がしばしば見落としてしまう、これら無数の要素を表舞台に引き出していく。それは、抽象的な光の混合として理解されてきた「色」を、人と機械と素材が織りなす様々な仕事の連鎖の中に位置付けていく。

    その多様な仕事の連鎖の中でも我々が注目するのは、吉田が「色を作る」と表現した顔料づくりのプロセスである。だが、一見力強い「作る」という動詞とは裏腹に、このプロセスの主役は人間というよりも植物自身である。花や葉を煮詰め、ゆっくりと時間をかけて沈殿するのを待つ。その上澄みを捨て、一連の作業を何度も繰り返す―それも、自宅の小さな台所で。この繰り返しの中で、彼らは花が徐々に「色」になっていくのを「待つ」。

    こうして生まれてきた色は、生きた植物のその唯一無二の状態に呼応する。同じ植物であっても、それが生きた土壌により、気候により、また採取してきた季節により、年により、色は少しずつ異なる。花や葉という生きた植物自体の持つ全体性が、徐々に凝縮し、再編し、「色になる」。このような植物の固有性と全体性を活かすためには、作る側に工程の主導権を植物に委ねる「奥ゆかしさ」が求められる。

    このことは多くの工藝材料にも共通する。漆、麻、茅、木工や建築のための木材…。これらの自然素材を使ってモノを作るということは、生きた植物のその唯一無二の状態を受け入れるということでもある。どんなに画一的なプロセスや道具で材料を「作ろう」としても、人側の作為は極めて限定的にしか及ばないことを、それらの材料を使う職人は —高い技術をもった人ほど— よく理解している。

    工藝と同様に、Foraged Colorsは顔料として凝縮する「色」とその素材となる植物の間の濃厚な関係性に我々の意識を向けさせる。両者はともに、材料 —とくに植物— の持つ全体性が自ずから辿る変化に向き合い寄り添うことを求める創造的な活動だ。そこでは、設備の準備や濾過、煮沸といった人間の能動的な働きかけと、素材がそれ自体の固有な特徴に応じて変化するのを「待つ」という受動的な姿勢が一体となっている。この待つという姿勢において、Foraged Colorsの営みは抽象的な光の合成として無限に色を生成するIllustratorのような現代的なテクノロジーとは対照的な位置にあると言えるだろう。

    世界的な環境危機を背景として、昨今のデザインでは素材への回帰が起こっている。その中でForaged Colorsは、色を素材(マテリアル)として捉え直す以上のものを私たちに垣間見させてくれる。彼らは、印刷物の色を実現するための機械、素材、人々からなるインフラストラクチャーに光をあて、我々に色をその中で理解するようにいざなう。その色作りでは、繰り返しの多い、ゆっくりとした工程を経て、生育環境と季節の刻印を帯びた植物の固有のあり方が顔料へと凝集していく。この緩やかなプロセスは、自然の循環と環境の制限の中でモノを作るということの価値を我々に語りかけてくれているようである。

  • 2022.03.01

    森から色を採る

    台所草木染め 結工房 吉田信子

    長年絹物を織ってきたが、自分で糸を作り始めるとすぐに「良い糸とは何か?」という疑問にぶつかった。繭に熱風をかけることで保存できるようにしているが、熱によって本来の艶が損なわれてしまう。さらに高速で糸を巻き取るため強い張力がかかり、シルクの持つ伸縮性を失ってしまう。出来上がった糸は、節と呼ばれる余分な繊維が絡みついていないか、糸の太さにムラはないかということを調べ、均一さが重視されるが、それは機械で効率良く織る為だ。
    これは良い糸を目指しているのではなく、効率や経済性の良い糸を目指しているのだ。さらに均一さを目指した故に、必要以上にキレイで洗練され過ぎた物ができ上がり、それ以外は認められないような世界になっているのだと思った。こうしたことは、絹糸業に限らず、現代のあらゆる分野で起きていることなのだと思う。

    私たちは素材の持つ本来の健全さが守り、そして今まで「傷」と言われてきたムラや節を「味」と言い変え、人の手の感触の残るものづくりを目指している。

    今回のプロジェクトは、草木を採集し、染液を作り、その染液を顔料化して絵の具を作る。それも安全な天然の材料だけで油性インクを作り印刷までしてしまおうという試みだ。やり始めてみると、薬品を使わなくても天然の材料だけでちゃんとできてしまうことに驚いた。しかし、どんな文明の利器でも始まりは身の回りの自然にあるものから作られたのだから、ある意味当たり前だったのだ。

    その昔、人々は森で暮らし、身の回りの草や木で必要な道具は小さなものから大きなものまで作り、採集や収穫物の保存方法など、衣食住のすべてにおいて豊富な知識と技術を持っていた。日本には縄文時代と呼ばれる13000年間も続いた時代があるが、それは世界史的にも珍しいという。ブナなど実のなる広葉樹に覆われた豊かな森と、森の保水力に培われた多くの川を背景に狩猟採集の生活が行われていたのだが、自然の利用の仕方がとても巧みであったこと、さらにそれが持続可能な生活スタイルであったことにより、これほど長きに渡り続いたと言われている。

    私たちは祖先から続くように、森に入り木から色を採る。クヌギからは薄茶色、ガマズミからは赤茶色、桑からは明るい黄色と深緑・・・。あるいは庭や河原で色を採る。春のヨモギからは草色、夏の月見草からは紫味のグレー、秋の芒からは黄色、冬の車輪梅からは赤茶色と鈍紫。草や木はそれぞれに固有の色を持ち、同じ系統の色でも微妙に違っている。

    草木や土などの天然素材で色を染めていた江戸時代には、たくさんの色の名前があった。茜色など染材が由来となった名前や、なでしこ色などその色が似ている物から名前となったもの、人の名前がついた利休鼠や、地名のついた京紫などなど、手元にある色名辞典に載っているだけで432色もある。さらに季節によって、成長のサイクルによって、草木はその持つ色を変え、さらに土地によって、また水によっても色は変化し、その色合いは無限だ。

    均一さを目指して作られてきた現代の色の世界に、一つとして同じではない草木の色を「味」として投げかける。縄文的な世界観を現代の文明のなかに注入するようでワクワクする。きっとそれは私たちだけでは無いと思い、そう願っている。